京都には、伝統的な5つの花街(かがい)が存在します。祇󠄀園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、そして祇󠄀園東。それぞれの地域には「お茶屋」と呼ばれるお店が存在し、
芸妓さんや舞妓さんが、踊りや三味線の演奏でお客さまをもてなします。
結婚式の披露宴に芸妓さんや舞妓さんが呼ばれることも
そもそも、「お茶屋」とは、どのような仕事なのでしょうか?
普段はなかなか知ることができない、京都独自のお仕事について、祇園東のお茶屋さん「富菊」の富森れい子さんにお話を伺いました。
富菊 富森れい子さん
「富菊」は、私の母方の祖父、富森菊一(とみもり きくいち)の代に開業したお茶屋です。
お茶屋とは、お料理やお酒とともに、芸妓さんと舞妓さんのおもてなしを提供する場所。料理屋のように思われることもありますが、お茶屋に厨房はありません。料理は、外から仕出しのものを手配します。
また、芸妓さんや舞妓さんも、常にお茶屋にいる訳ではありません。「置屋(おきや)」と呼ばれる芸妓さんや舞妓さんが所属しているお店に依頼し、派遣していただきます。お茶屋は、さまざまなところに手配をかけて宴席をつくり上げる、マネジメント業が仕事です。
はい。ただ、富菊は、置屋もかけ持っているお茶屋です。私の母の代から、置屋さんの役割を始めるようになりました。今は、ふたりの芸妓さんとふたりの舞妓さんが所属しています。舞妓さんは住み込みの伝統があるため、この富菊の家で暮らし、お稽古やお座敷に通っています。
また、最近では宴会会場に富菊を使うことはあまりなく、料亭さんや、他のお茶屋さんの宴席に派遣させていただくケースが多くなっています。
朝は早く、5時半くらいに目が覚めます。7時くらいまでは、家のこまごまとしたことを済ませる時間です。その後、起きてきた舞妓さんたちの朝ご飯を用意し、着物を着せて踊りのお稽古に送り出します。
8時半くらいには皆出かけ、そこからはひとりで事務仕事です。メールで来た舞妓さんや芸妓さんの依頼を確認し、予定を調べて返信します。あとは、お料理や場所の手配など…間違いがないよう、よく気をつけながらやり取りしていきます。
お昼からは、少しゆっくりした時間です。外に出かけて用事を済ませることもあります。とはいえ、夕方には舞妓さんがお稽古から帰ってきます。お座敷に行く前にご飯を用意したり、着物を着せ代えたりと、そこからまた少し慌ただしくなります。
舞妓さんたちがお座敷から帰ってくるのは、大体、夜の10時から12時くらいです。着物を脱がせて、お腹が空いているようだったらお夜食を用意して。帰ってきた舞妓さんに「おかえり」と言うまでが、1日の流れです。
いえ、祖父は、お茶屋を始める前は京都の北部でまったく別の仕事をしていたそうです。祇園東で商売をしていた親戚がいたことがきっかけで、私の祖母と母とともに、今の場所に移り住んできました。
お茶屋を始めたのが祖父の代からということもあり、特に大きな違いというものはなかったように感じます。でも、子どもの頃は、ここで宴席が開かれることがよくありまして。家の中に綺麗な着物のお姉さんがいるし、お琴や三味線の音が聞こえてくるしで、ワクワクしましたね。覗きに行こうとしてよく叱られていました。
祖父の後は、母が富菊を継ぎました。舞妓さんを受け入れるようになり、置屋としての役割をかけ持つようになったのもこの頃から。舞妓さんの数が急激に減り、このままでは文化が途絶えてしまう、と危機感を持ったのがきっかけだったようです。
とはいえ、舞妓さんを育てるのはすごく大変だったようですね。母は芸妓の経験があった訳ではないので、初めはわからないことばかりだったそうです。
いえ、それが違ったんです。私は、学生時代の舞台照明のアルバイトがきっかけで、舞台照明の仕事を志すようになりました。照明技術やデザインを学ぼうと考えたのですが、当時、日本にはあまり専門的な学校がなくて。
それなら海外で学ぼうと思い、アメリカの大学に留学しました。
はい。大学の芸術学部舞台芸術専攻に入学し、修士課程まで修了しました。その後は、現地の劇場で照明の仕事を経験し、フリーランスの照明家として独立。国内外の公演の技術監督・コーディネートを手がけるようになりました。
フリーランス時代は、照明家の仕事を続けながら家業を手伝っていました。20年ほど両立を続け、母が亡くなったことをきっかけに富菊を継ぎました。今から約15年前、2007年の時です。
照明の仕事は、とても楽しかったです。でも、小さな頃からお茶屋の仕事を身近に感じてきましたから、「自分がこの家を継ぐんだ」という意識が、心にずっとあったのかもしれません。
照明の仕事は、“好き”という気持ちだけをモチベーションに続けてきました。業界で有名になりたいとか、実績を挙げたいとか、そういう欲はなかったんです。きっと、いつかは家の仕事に戻ることがわかっていたのでしょう。
母が亡くなったときには、「富菊のバトンをもらったんだ」と、自然に思えました。
芸妓さん、舞妓さんは、本当にプロ意識が高く、辛抱強い方が多いです。 しきたりが厳しい世界なので、仕事を続けていると、理不尽に思うことや、辞めたくなることもたくさんあると思うんです。でも、もし辞めて別の職業に就いたとしても、ひとつのことを辛抱してやり続けた経験は、きっと本人のためになるはず。
誰かのためではなく、自分自身の糧にするため、つらいことがあっても頑張ってほしいと思っています。 私自身、お茶屋とはまったく関係ない仕事で過ごした時間は、決して無駄ではありませんでした。自分なりの経験やつながりがあったからこそ、チャレンジできたこともあります。
つながりのあった旅行代理店さんから、海外からのお客様に舞妓さんを会わせてあげられないか、とご要望がありました。海外からですと特に、舞妓さんに会える高級料亭は敷居が高く、ご紹介がないと、なかなか手配が難しいんです。そこで、お昼に舞妓さんの踊りを見て、お茶を味わっていただける、新しいプランを始めました。始めての方や海外の方でも舞妓さんに会えるとあって、お喜びいただいています。
また、インスタグラムなどSNSを使って、芸妓さんや舞妓さんの姿の情報発信もしています。
インスタグラム:
https://www.instagram.com/tomikiku_gionhigashi/
文化は、潰すのは簡単ですが、元には戻せません。
祖父がこの地に移り住んできた頃、辺りには100軒近くのお茶屋さんがあったそうです。それが今は、祇園東でたった7軒。高度経済成長期やバブル期に、町家は雑居ビルに形を変えてしまいました。後継者が見つからずに畳んでしまわれたお店も数多くあります。
変わっていかなくてはいけないこともありますが、同時に、決して変えてはいけないものもある。戻せるものと、戻せないもの見極めは本当に難しいです。常に自分を戒めていないと、見極めを誤ってしまいますから。
それでも、芸妓さんや舞妓さんといっしょに新しい取り組みに挑戦し、京都の伝統文化を伝えていけたら、そう思っています。
お問合せ:LSTWEDDING(075-351-6611) www.lst.jp